単元7 地上を歩まれた神の子
第二課「バプテスマを受ける」
バプテスマを受ける
聖書箇所:マタイ3:1-6,13-17
主題:神であるイエスが、人としてバプテスマを受けられた。
暗唱聖句:マタイ3:17
マタイの福音書3章1節からはイエス様の公生涯のための準備について書かれています(4章16節まで)
主題とは大きく離れるのですが、今回の箇所の前半部分より、今回の箇所のメイン人物の一人、バプテスマのヨハネ(とバプテスマ)について焦点を当ててみましょう。
「バプテスマのヨハネ」とは、「バプテスマを授ける人であるヨハネ」と言う意味です。ですが、バプテスマのヨハネの第一の役割はバプテスマを授けることではありません。
バプテスマのヨハネの第一の役割は、「神のさばきについて」「ヨハネより力のあるイエスがこられること」を伝えることだったのです。そのしるしとしてバプテスマを授けていたのです。
バプテスマのヨハネが、クラムン教団とのかかわりがあったとの主張がよくなされます。ただ覚えておきたいのは、クラムン教団のバプテスマは誰かに授けてもらうものではなく、自分自身で行うものでありましたが、バプテスマのヨハネは他人にバプテスマを授けていると言うことです。
なお、バプテスマのヨハネについては、聖書以外に、ヨセフォスという人が書いた『ユダヤ古代史』18:116-119にも詳細な記述があります。
さて、ヨハネの説教は3章2節に「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」と言う言葉で要約されています。ほとんどの日本語訳では「近づいた」と訳出されているようですが、厳密に言うと、「ずっと、迫ってきて近づいてきた。これからさらに近づく」と言ったニュアンスがあります。悔い改めは今すぐするべきであるという意味なのです。
バプテスマのヨハネはエリヤであるとよく言われます。その共通点をまとめておきましょう。
服装(「毛衣を着て、腰に皮帯を締めた人でした。(2列王1:8)
最終的には王と王妃と衝突した
他にもありますが、とりあえずこれくらいで。
さて、バプテスマについてもう一度みておきましょう。
まず、当時のバプテスマといえば「異邦人の改宗の時のバプテスマ」と「クラムン教団の儀式的な洗い」があげられます。
前者は、異邦人(つまりユダヤ人以外)が改宗(ユダヤ教徒となること)する際に、自分自身で沐浴していたことをさします。
後者は、儀礼的に繰り返し自分自身を洗うことを指しています。
この二つのバプテスマに切迫感、緊急性、これらの言葉が似合うでしょうか。
別にいつでもいいじゃないとも感じます。
ですが、ヨハネによるバプテスマは、神の裁きが近づいてきて、悔い改める必要がある。その悔い改めのしるしとしての洗礼だったのです。繰り返しになりますが、性質がまったく違うものです。